創造のために集中する時間

先月の科研費の申請依頼,実験こそ出来ないものの,自分の研究内容に集中できる時間が取れる機会が比較的多くなった.論文検索をする時間が増え,過去から最近までの関連研究のフローを追いかけると,自分の研究におけるトピック性が明確になり,今後の研究計画が具体化する.久しぶりに脳内が活性化されて有意義な時間を過ごしていると感じる.
うまく言い表せないが,事務仕事に集中するときと研究に集中するときとでは,脳の「創造的活性」がかなり違っていると私は感じている.研究室内の会計や事務の情報整理を行っているときは,間違いがないようにと集中しているだけでそれ以外の頭の使い方はしない.しかし,論文を読んだり,書いたりする時など研究的な思考に集中しているときは,なぜ?,どうして?,どうすれば?のような自問自答を繰り返しており,クリエイティブな頭の使い方になる.私が後者の状況にある場合,その時間が長いほど気分が「ハイ」な状態へとトランスしてとても心地よい.
研究者だからいつもそういう時間を過ごしていたいと思うが,残念ながら,現実はそうではない.
大学が法人化された結果,大学教員一人一人に課せられる学務に関する仕事量が確実に増え,その反面,自らの研究に携わる時間が確実に減っていると感じることがしばしばである.私の研究室はかつて二人の助手と一人のパート事務員がおり,その三人で研究室の運営に関わる事務的な仕事をこなしていた.それが今は助手のポストが一つ減らされ,予算削減のあおりでパート職員が雇えなくなり,助手一名になった.
学務に関する仕事の一部は研究室より上位の組織(部門)に専属の事務員に委託しており,以前の三人分の仕事全てを一人でかぶっている訳ではないので,現在と過去の単純な比較は難しい.しかしながら,以前のように「本当にやりたいこと」に集中できる時間が少ないと感じている教員は学内に多いのではないだろうか.
Y教授によれば,我が大学では学務や学生指導を免除され,自らの研究に集中するためのサバティカルという制度があるらしい*1が,それを利用している教員は果たしてどのくらいいるのだろう.

ギャラリーであふれかえった大会2日目。ティーショットのアドレスに入った宮里が、スイングを途中でやめ、振り向きざまに、パシャパシャとシャッター音を鳴らすカメラマンAを指差した。

 「あのカメラマンです!」

 大手出版社T社を名乗って入場していたAは、スイング途中にシャッターを切らないというゴルフ取材のルールを無視していたため、その場で運営スタッフに取り押さえられ、取材バッジを没収。同じT社を名乗って入場していたもう1人のカメラマンBも、1日目に同じルール違反を犯し、「もう一度同じことをして、プレーを妨げたら強制退去処分にする」という警告を受けていたため、2人まとめて異例の強制退去となった。

 2人のルール違反はよほどひどかったらしく、宮里だけでなく、ソレンスタムらほかの選手たち、また、同業のカメラマンからも、主催者側に抗議が出ていたという。(11/7夕刊フジ)

プロは自分の世界に集中する時間が必要なのだ.