子育てのサイエンス _ My Life

mich_katz2007-10-16



日曜、内田美智子先生が事務局長をされている九州思春期研究会の大会に参加した。


内田先生の“お弁当の日”に関する午前講演でまたまた泣かされてしまったが、今回の研究大会では、福岡新水巻病院周産期センター白川嘉継先生の講演が、私にとって最も刺激的だった。


いろんな保護者にも知ってもらいたいので、メモしておこう。


〈脳〉

  • チンパンジーの6倍量のヒトの前頭前野を鍛えられるのは10歳まで。=早い時期に脳は完成する。
  • 発達障害は、先天的な遺伝的疾患だけではない。むしろ、外的ストレスによって発達の早い段階で海馬、扁桃体が傷つけられることによって起こる方が現代では多い。
  • 胎児の脳もストレス障害を受ける。例えば、母親が強度のストレスを受けると、胎内男児の脳の男性化は損なわれる(女性化が起こる)。
  • ストレスを受けた海馬と扁桃体は思春期に暴走し、ミラーニューロン前頭前野の機能が低下する。
  • その結果、考える/行動をコントロールする/コミュニケーションする/注意力を集中したり、分散したりする/記憶をコントロールする/将来の展望を立てる/他人の心が理解できる、などの力が弱まる。
  • こうした障害は、描く絵に反映される。
  • 7ヶ月検診の母子を見れば、その子の将来がおおむね予測できる(そんなことは受診者に面と向かって言えないが……)。
  • ヒトの脳は、生まれ落ちた環境に合うように心と体を変化させる。その作業には、そばで支える親が重要な役割を果たす。
  • 例えば、幼児期に抱かれて育った母は自分の子を抱けるが、抱かれなかった母は子を抱けない。また、脳が正常に発達している子はよくニコニコ笑っている。
  • 感情豊かな児童は記憶力が高い。
  • 幼児の脳は、情動的に母親の脳と同調している。父親とは無理。
  • テレビやビデオの映像や音声でミラーニューロンは働かない。


<ヒトの進化・生態>

  • 親子の愛情は、男女のそれと違い、本能ではない。育む必要がある。
  • 雌が生存しにくい霊長類では雄の育児支援は大きい。人間は中程度。
  • 霊長類は多大な犠牲を払って(オラウータン8年、チンパンジー4年、ヒト2年)子どもを養育する必要があるように進化している。それは、脳が正常に生育することを保障する期間。この期間に次の子が産まれると、上の子の生存や健全な成長が脅かされる。
  • 二足歩行によってヒトの子のお産には他者の助けが必要となった。他人との関係性を良く保ち他人に依存する能力は、進化的に重要な形質。


<虐待>

  • DVなど身体的暴行を受けると早産する。
  • 虐待は性早熟・出産年齢の低下を招く。テレビなどの光の浴び過ぎによる睡眠障害でも性早熟は起きる。
  • 虐待を受けた子どもは、虐待後の抱擁を期待するようになり、虐待から逃れられなくなる。
  • リストカット女性の70%はレイプを経験している。


<社会環境>

  • 現在、9%程度の子どもが発達障害。20%まで増えるとする予測もある。
  • その主要因は、“愛着(母と子の関係性)障害”の増加。
  • 第三次産業人口の増加と社会システムの高度・複雑化は、思春期(=社会的自立)の遷延を助長している。
  • 父子家庭の子には、離婚後できるだけ早い時期に固定した養母を見つけることが必要。その場合、母親の実母、それが叶わなければ、父親の実母が望ましい。


<睡眠>

  • テレビ視聴時間が長いと就寝時間が遅い
  • 小学4〜6年生の10時半以降の就寝者に成績上位者はいない。学力上位者の50%は午前9時半までに就寝する。
  • 夢を見ずに寝ている時に、活性酸素(酸素消費によって発生する)によって障害を受けた脳細胞が修復される。


<子育て・家族>

  • 忙しくても、子どもの前では忙しくないふりをすることが大切。
  • 親が子に「あなたの為に」などと言うべきでない。
  • 母が子を見捨てないという肯定感が重要。
  • 母の読み聞かせは2歳半から3歳が効果的。
  • 前頭前野を鍛え、我慢する力を身につけさせること。前頭前野の発達には、有酸素運動/読書(特に音読)/そろばん、暗算/様々な家庭環境の子どもと遊ぶ/幼児の世話をすることが効果的。
  • 子どもを傷つける行為=けなす、くらべる、おどす、からかう、約束を破るをしない。
  • 子どもの前での夫婦喧嘩も心理的虐待になる。
  • 父親の役割。それは、母子を見守る、我慢する事を教える、社会へ出る後押しをする。


科学的な証拠をベースにした話が多かったので、大変興味深かった。こんなふうに子育ての話をサイエンティフックに語る事ができたら、父親の興味を引けるのかもしれないとも思った。


それにしても、大学教員など社会的地位の高い人物に「学業依存」が多いという話には、思わず我が身を振り返ってしまった。幸いにも私は研究業績に固執する性格ではない。こうして、仕事とは関係のない方々と交流し、助け合っていくことを快く思っている性格は、私の学業依存がそうひどくないことを示唆しているらしい。


学業依存に対しては、同席したゴーシ舎長からの面白い質問があり、会場が笑いに包まれた。そのエピソードは、http://d.hatena.ne.jp/kab-log/20071015で。