一時間の稔り

先日の大学農場での食育講話(http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/20080925)を聴いた学生たちの感想文が届けられた。


普段の講義とはかなり異なる内容だっただろうし、聴講後の学生たちの反応がとてもクールだっただけに、どんな感想を書いてくれただろうかと、期待と不安を抱きながら読んだ。

大学生の食生活のスライドを見て笑ってしまったけど、自分も危ういところにいるなぁと感じた。それに比べて小学生たちの「お弁当の日」では、小学生とは思えないほどしっかりと作っていて、その上、ただ作るだけでなくそこから多くのことを学び取っていて感動した。
私は現在一人暮らしをしているのだが、一人で食事を作って一人で食べるという行為は始めの方は目新しかったものの、だんだんわびしくて面倒くさいと感じるようになってきていたので(ただそのおかげで母親の偉大さがわかった)、いい刺激になったと思う。今度「お弁当の日」が開催されたら友人も誘って参加してみたい。あと、当分清涼飲料水は飲むまいと心に誓った。(女子学生)

日本の食物自給率は40%と低い方であるということはしっていたけれども、総食料廃棄量が2000万トンと非常に多く矛盾が生じていることを知りました。日頃、そこにあるから食べるだけで、そういった“もったいない”という考えをあまり持たない私は凄く驚きました。食べ物に感謝する以前に、食べたくてもその土地環境が悪かったりして食べれない人もいるのに、私たちは本当に贅沢だと思いました。
又、弁当の日が魅力的でした。私も最近一人暮らしを始めて、自分でご飯を作る事への難しさ、親の偉大さを実感しているさなかなので、いつか自分も弁当の日に参加してみたいと思いました。食べ物やそれを作ってくれる人、材料など色々なものに感謝していきたいです。(女子学生)

今日の話しを聞いて清涼飲料水の怖さを知った。私自身は清涼飲料水を飲むことはあまりないが、将来子どもが生まれた時に、清涼飲料水を飲ませ過ぎて歯がとけてしまうなどといったことにならないように気をつけたいと思う。
また、私は自宅生なので、ほとんど料理をすることがなかったのだが、家に帰ったら少しずつ母の手伝いたいと、お弁当の日の感想を見ていて思った。(女子学生)

今まで料理をするのは面倒で全部買ってきたもので済ませていたけれど、それじゃあ食べものの本当の有り難さは分からないのかもしれないと思った。小学生でさえ工夫して美味しそうなお弁当を作っているのを見て、頭が下がる思いがした。
いつかは私も大人になって誰かを自分の食べ物で養うことになるのかもしれないと思うと、今のままではいけないと思った。寮なので普段は食事が出ているけれど、日曜などに頑張ってなにか作ってみようと思った。(女子学生)

自分もお母さんが作ってくれるお弁当のあたたかさというものを強く感じた。お弁当を作ってくれるのはあたりまえだと思っていたけど、実際に作る側は大変なんだなあと思った。今、食事付きの寮に入って、朝と夕方はそこでご飯を食べていて、たまに残すことがあるけど、それではダメだなあと反省しています。
最後に比良松先生がおっしゃったように、私も実際に“体験”をした方が身に付くと思う。小学校のときミニトマトが嫌いだったのに、みんなで育てたミニトマトはなぜかおいしかった。それ以来、ミニトマトを食べれるようになり、体験のすばらしさを実感した。今回の農業体験でも実際に体験を通して様々なことを見つめ直せたらいいなあと思う。(女子学生)

食がとにかく大切なんだと思った。現代はポカリスエットなどの清涼飲料水やお菓子のせいで当分を取りすぎているために、集中できない子だったり、落ち着きのない子が増えているのだと知って驚いた。以前はもっと他の理由、例えば、親のしつけがなってないからダメな子が増えているのではないかと思っていた。結果的には、親がちゃんと食事を与えていればそんな子には育たないのかもしれないけれど……。
今日、特に印象深かったのは「弁当の日」という取り組みだった。私は実家生のため自炊もできないし、当然弁当を作ったことなど一度もない。お盆には両親だけで祖父母の家へ行ってしまうので、仕方なく家事をこなすが、これが毎日となると絶対に無理だと思ってしまう。あと数年経ったら自立して一人暮らしができるようにならなければいけないのに、このような親に頼りっぱなしの生活を続けていたらいけないと思った。
未だに週三回くらい弁当を作ってもらっているので、せめて週一、無理な時は最低月一でもいいから弁当を自分で作るようにしようと思う。母親のありがたさ、そして、食べもののありがたさを改めて痛感した。(男子学生)

お弁当の日」の取り組みを小学生・中学生が実践していると知って、自分自身の生活を振り返ってみました。私は自宅から学校に通っているので親に頼り切りで、自分の食事について気を配ってはいるものの、自分で何かをするということはほとんどありません。私もこの今の状態に甘んじるのではなく、自分の「食」と向き合うためにお弁当を作りたいと思いました。しそて、お弁当づくりの中から多くの小中学生や大学生が感じた何かを見つけたいと思います。自分で何かを何かを考え感じることは大切なことであり、それこそが学びのあるべき姿だ太思いました。
お弁当の日」の感想文のなかで一番印象に残っているのは、ひじきご飯のエピソードでした。失敗から学べるものの大きさを感じました。食の大切さだけでなく、人とのつながりも知ることができて、ステキな「食育」だと思いました。
現代社会において食というものが軽視されている。大学生の食事を見た時にそう思いました。
人間の基本的な「食」がおろそかになているからこそ、世の中の変化が生じているのではないかと感じました。心の病を抱えたり、事件を引き起こす若者が多いのは、その一例ではないか、そんな気がしました。
「食」の大切さについて、今日は色々と思うことがたくさんありました。これをきっかけに私の食も変えることができればと思いました。(女子学生)

幼い頃から母は私と姉に清涼飲料水を与えなかったので、私はポカリやアクエリアスをはじめとするいわゆるジュースが飲めません。今から思えば、そんな幼いころから正しい味覚を育てていてくれたのかと驚くばかりです。
料理についても、小さい頃から私が当番の日があり、夕食を作っていました。最初はひどいもので、夕食なのにこげたたまご焼きでごはんと味のないおみそ汁でした。あまりにまずしくてくやしくてくやしくて、わんわん泣いてしまいました。家族が「初めてにしては美味しいよ。大丈夫、食べれるよ。」と言って、全部食べてくれました。
この経験は絶対、今の私に生きていると思います。そしてこういった思い出こそ真の食育なのだということが、今日の講義で分かりました。本当に子どものためを考えてあげられるそんな食育を考える大人になりたいと思いました。(女子学生)


……と、一部に目を通すだけでも、こんな具合にしっかりと、力強く感想を書いてくれた。1時間足らずのお話だけだったのに……。


思いが伝わるというのはほんとうに嬉しい。