宗像のインディ・ジョーンズ


竹下先生の講演活動はとてもハードだ。公務に差し支えがないようにと、主として土日に講演活動をされる。土曜の講演場所から日曜の講演場所への移動距離が遠すぎて、中継地に宿泊されることも多々あると言う。そして香川へとんぼ返りされて、校長室で週明けの仕事をすることもあると言う。


そんな忙しい竹下先生に、旅行気分を少しでも満喫して頂こうと思い立ち、午前講演終了後、郷土の歴史に大変詳しいK先生にナビゲーター役を依頼し、フリーライターのMさん、栄養士のSさんとともに、宗像の史跡を巡った。


宗像には、今、世間から注目されている離島がある。沖の島だ。この島は、古代日本(倭)が朝鮮の国々や南朝(中国)と交流する際に、航海安全や交渉成就を祈るための祭祀が行われていた神聖な場所。その沖の島を含む当時の宗像地域を治めていた胸形氏所縁の遺産群が、奥州平泉、石見金山、彦根城、鎌倉と並んで、世界遺産暫定リストに登録されたのだ。


毎年10月初日に開催され、大船団による勇壮な海上パレードで有名な“みあれ祭”は、かつての国際貿易のための古代祭祀が漁業の安全と繁栄を祈願するための祭祀に変化したもので、天照大神のお告げにより降臨した田心姫神(沖の島沖津宮)、湍津姫神(大島中津宮)、市杵島姫神辺津宮=宗像大社)の三人の女神を、年に一度、辺津宮へお迎えするお祭りだ。


そんな宗像の歴史の魅力に取り付かれた案内役のK先生は、高校時代、同級生、指導教員と協力し、宗像・津屋崎地域の史跡を巡りながら、リストアップしていく取り組みを始めた。ある日、調査フィールドで小さな穴を見つけたK先生たちは、ただの穴ではないと直感し、内部に踏み込んだ。そして、赤・黄・青で鮮やかに彩られた石室と玄室を発見した。それが、世界遺産候補に含まれる国指定文化財、桜京古墳である。このエピソードは、日本版、インディー・ジョーンズの冒険と言ってもよいのではないだろうか。


その話しを車内で聞いた竹下先生、Mさん、Sさん、私は、「えっ〜〜〜!先生が発見したんですかぁ!!」と一同で絶叫。


K先生とのお付き合が一年半になる私でさえ、いや、もっと古くからお付き合いのあるMさんでさえ、その驚くべき話しを聞いたのは初めてだった。フィールドでレアな生き物に出会う時の何ものにも換え難い喜びを知る私にとって、発見時のK先生の興奮を想像するのは難しいことではなかった。しばらくの間、感動に浸った。


少年時代の憧れを大人になってもずっと持ち続けているK先生。K先生が子どもたちや保護者たちから慕われる理由が分かった気がした。素敵な歴史少年の物語だった。