“弁当の日”の先生が宗像へやってきた!


宗像市河東西小学校で宗像区小学校PTA連合の指導者研修会。
とても楽しみにしていた。


なぜなら………
基調講演は………
竹下先生だから!


竹下先生の紹介を任せられた私は「ありきたりの講師紹介にしたくない」と思い、こう切り出した。
「竹下先生の講演を聞いたことがある方、どれくらいいらっしゃいますか?」
一人が手をあげた。
「ほとんどすべての人が聞いたことがないということですネ。でも、ひょっとしたらどこかでもうすでに会っている人もいるかもしれません。と言うのも、実は、竹下先生、この雑誌の漫画に登場されています。」
……と、ビッグコミックオリジナルを取り出し、玄米先生に弁当の日が連載され、竹下先生が松下先生として登場されたことを紹介。これでつかみはバッチリ。


紹介の後、竹下先生はスリッパを脱いで壇上に上がられた。「直前にステージに上がった教育委員会の方がスリッパを脱ぐ姿を見ました。37年の教師生活で始めて見ました。とっさに真似しなければと思いました。その時、一番に気になったのが靴下に穴があいていないかということでした。」会場にどっと笑いが起こる。ゴーシ先生の東峰村講演(http://d.hatena.ne.jp/kab-log/20080619)の再現のようだ。竹下先生のつかみもバッチリ。



「子どもの育ちにPTAはどこまで貢献できるか」それが、今回の演題。私が竹下先生にこのタイトルお願いした。PTAの方々に「PTAとはなんのためにあるのか」という基本的問題を、竹下先生の話しを聞きながら考えてもらいたかった。竹下先生は一言、「それでいきましょう」とおっしゃって下さった。


そんな私の思いは「のりしろの感覚」という竹下先生の話に見事に反映された。それはこんなお話だ。

学校は、学校管理下、すなわち、朝、子どもたちが行ってきますと言って家を出てから、ただいまと家に帰るまでの間、子どもたちの面倒をみるのが職務になっている。逆に言えば、それ以外の時間は子どもたちは家庭の管理下にあるということ。学校と家庭が何かを協力してやろうとすれば、境目の部分に“のりしろ”を作って繋がり、ひっぱっても切れない紙のようになる必要がある。しかし、学校と家庭が、自分たちの縄張りだけをきっちり守ろうとすればするほど、すなわち、お互いの責任の範疇を明確にしようとすればするほど、互いに寄り添うためののりしろがなくなり、その境目はだんだんと広がってしまうと言うのだ。


文部科学省は“弁当の日”をやりなさいなんて一言も言っていない。弁当の日を学校管理下という枠組みの中でやろうとすればできるわけがない。子どもが一人で家で調理をするという弁当の日にはどうしても家庭の協力が必要となる。のりしろで繋ぐ部分が必要になるのだ。


PTAのあるべき姿を的確に伝えてくれるお話ではないだろうか。
私は、この“のりしろ”をちゃんとつくれるPTA会長になりたい。


先週12日のエルガーラホールでの講演に引き続き、この日の講演も泣き笑いが絶えない素晴らし内容だった。
参加者約400名。竹下先生の弁当本の売上数110冊。
その数字が講演内容の素晴らしさを物語っている。


そして講演終了後、会場となった河東西小学校の校長とPTA会長が口を揃え、控え室に向かう竹下先生にこう言った。


「弁当の日、我が校でやります!」


宗像市初の弁当の日実践小学校の誕生、間近です。