大学生版「あの時の、あの食事、あの弁当」その1


私たちは3日前までの食事さえ思い出すことが難しい。
「食べることは生きること」なのに。


でも、1ヶ月前の弁当の日につくった料理や食べた料理は思い出せる。
それは、食べてくれる人のことを考えながら作るからだろう。
そして、作ってくれた人のことを考えながら食べるからだろう。


思い出せない食事には、思い描ける人がいない。
思い描ける命がない。


思い出せる食事とは、命のつながりがある食事である。



あなたにとっての想い出の食事、想い出の弁当とは何ですか?


私は受験期にストレスで一時期ごはんがうまく食べられなくなってしまいました。
おなかはすいているのに、うまく飲み込めなくて、とてもつらい思いをしました。


そんな私に、母は最初とても戸惑ったようでした。
前まで、食べ過ぎなくらい食べていた娘が、青白い顔をして、作ってあげた食べ物を拒否する。
それを見て、母はどんなに苦しかったことでしょう。
母の悩む姿を見ながら、私は親を苦しめていることに責任を感じ、余計に食べられなくなってしまいました。


そんな時、父は「お母さんと一緒に夕食を作ってみたらどうだ?」と薦めてくれました。
そのころ私は、食べ物を見るのさえ嫌になっていたので、とんでもないと思いましたが、父の薦めに従い、母とともに夕食を作ってみることにしました。


母は料理中、「私、今日はかぜひいてて、味よく分かんないのよね」と言いながら私に積極的に味見をさせました。
最初は酢の物の酢をぺろっとなめるところから始まり、酢の物のきゅうりを食べ、煮物の味見をし...
気がつくと私は味見だけで結構な量を口にしていました。
しかも、心からおいしいと感じながら。
母はそんな私を見ながらほっと一安心したような表情をしました。


その日から、私は少しずつ食べられる量が増えてきました。
母は毎日ほんの少しずつお皿に盛る量を増やしながら、私の様子を見守ってくれました。


今ではまた毎食たっぷりと食べられています。


今は一人暮らしをし、自炊していますが、次帰省するときにはあの日のようにまた母と台所に立ち、母の懐かしい味を盗んで帰りたいと思います。


久しぶりに台所に立つ娘を見て、母は娘の成長を感じるだろう。