大学生版「あの時の、あの食事、あの弁当」その2


小学校の運動会。
私の母は大量に「唐揚げ」を詰めてきてくれた。
私が大好きだったからだ。
普段はあまり作ってもらえない「いなり寿司」も美味かった。
運動会の弁当はどの家庭でも想い出に残るものである。

私のお弁当の思い出は、小学校の頃の毎年の運動会のお弁当である。


そのお弁当は母が毎年作ってくれていた。運動会のお弁当は応援に来る父や母、そして一緒に運動会に参加する兄と私、あと、毎年ではないが観に来てくれる祖父母と、大人数が食べるお弁当であるため、ものすごい量のお弁当となる。そのため、母は、前日から準備をし始め、毎年運動会当日の朝、朝4時ごろに起きて大量のおかずやおにぎりなどが入ったお弁当を作る。母は特別な時のお弁当には、必ず巻き寿司と稲荷寿司を入れていた。今となっては、この稲荷寿司などを一人で大量に作るのはものすごく大変なことであるとわかるが、小学生の頃はそのありがたさを分かっていなかった。


母の作る稲荷寿司や巻き寿司が私は大好きであった。今でも時々食べたくなるぐらいである。しかし、普通のおにぎりでいいのになどと母に文句を言ったときもあった。それでも母は毎年巻きずしと稲荷寿司入りのお弁当を持って運動会の応援に来てくれた。他にもたこさんウインナーや唐揚げ、卵焼きなど私や兄が大好きなおかずをいっぱい作ってきてくれていた。


午前中の競技の後のお弁当タイムは私にとって至福の時であった。いつもとは違う豪華なお弁当に私のテンションはうなぎのぼりであった。そして、お弁当の中身もさることながら、家族みんなそろって外で食べる弁当は格別である。今でもその光景を思い浮かべることが出来る。運動会の中でもお弁当タイムは私の中で一つのイベントと化していた。私の中で運動会のお弁当の想い出はお弁当の想い出の中で一番の想い出だと自信を持って言える。


そして、その想い出にはこの年齢になってさらに母親のありがたさというものが加わった。私は、おかずを一品作ってくるという小ゼミフィールドワークでの試みを通して、お弁当の中のおかずを一品作るのにかける多大な労力、大変さを強く実感した。たった一品作るのに、食べてくれる人の好みを考慮しながら弁当の内容をいろいろと考え、食材を買いにいき、作り、弁当に詰める、このようにお弁当作りにはたくさんの過程がある。毎年の弁当のお弁当にはこのような母のたくさんの労力が込められていたのである。そのことにこの年齢になってやっと本当に気づくことが出来た。私は、このようなことを文句も言わずに毎年していた母をとても偉大だと思った。


私はきっとこの母の偉大さを一生忘れない。そして、私が母親となった時、私もこのように、子どもや家族のために頑張れるような人間となっていきたいと思った。


運動会に仕出し弁当をとって食べる人たちがいるという。
運動会にファミレスで昼食をとる人たちがいるという。
それはどれくらい想い出に残るのだろう。