記憶の星座が瞬くとき〜中学校の同窓会


卒業した中学校の校舎が建て替えのために壊されることになった。


その校舎の見学会とそれに託つけた同窓会を実施するというメールが、
先月末、突然、同級生のSさんから送られてきた。


たまたま講演がない日だったので、出席することにした。
数少ない地元残留者として会を盛り上げてあげなければという気持ちもあった。
ところが驚くべきことに、同級生約170名中、60名ちかくの人数が集まったのだ。
わざわざ東京から駆けつけた人もいた。


実家への問合せ、Mixiなどを駆使し、たった1ヶ月ほどの間にこれだけの同級生を集めたとSさん。
私の場合は、ネット検索で引っ掛けたらしい。
なるほど、インターネットはそういう人探しにも使えるのかと感心した。
あっぱれだ。


ほとんどの人とは卒業以来会っていない。
会えば30年ぶりの再会だ。


中学校へ向かう車中、懐かしさと緊張が交錯する。
「顔を見て分からなかったらどうしよう……」。


しかし、それはほとんど杞憂であった。
懐かしい顔、顔、顔………。
30年経った今でも、学生服を着ていたあの頃の懐かしい面影や出来事が脳裏に蘇る。


たぶん、科学的に言えば、45歳の同級生の顔を認知した私の脳が、学生服を着ていた15歳の頃の姿を想像させ、中学時代依頼、ほとんど使うことのなかった神経回路に再び電気的信号を流し、あたかも星と星を繋いで星座を描き出すかのように、想起作業を開始したのだ。


夏休みの合宿で、女子班を起こすためにバンガローのドアを思い切り叩いたら、中から出てきた見知らぬおばさんにしこたま怒られたこと。
友達の買ったばかりの眼鏡をお尻の下敷きにして壊したこと。
とても厳しい吹奏楽部の先輩に、同級生とともに毎日腕立て伏せで鍛えられたこと。
終鈴とともに教科書とノートをさっさとカバンの中にしまい込み、数学の先生を困らせたこと。
うちのクラスだけ授業が自由時間にならないのは不公平だと言って、理科の先生に猛抗議して詰め寄ったこと。
友達を胴上げして落とし、腕を骨折させたこと。
友達が幅跳びの練習中に鋭い剣のある陸上用のスパイクで自分の手の甲の上に着地してケガしたこと。
市中体連の陸上大会の1500m走で、同級生3名で、“一時的に”上位を独占し、学校の応援が湧いたこと。
ハリウッドスター名鑑を片手に、映画の名前だけを聞いて出演した俳優を当てるという、マニアックなクイズ合戦を友達と毎日のようにやっていたこと。
……etc.


その一方で、毎日使っていた靴箱、教室、ロッカーを想像以上に小さく感じたとき、人の記憶とはスゴいようで、わりと曖昧なものであることを再確認した。


ドッジボールのラインを踏んだの踏んでないだの、クラスでケンカ腰の議論になったとき、比良松君が泣いたのを初めて見てビックリしたのを覚えてる。あの冷静な人が泣いとるって」。そう語ったのは、サングラスのように大きな眼鏡がトレードマークだった同級生(旧姓)Kさん。30年以上、“私の”神経回路ではまったく反復されることのなかった過去の出来事が、彼女の記憶の星座で再現された時、私は面映く感じた。


星をつなぐシグナルの流れを生み出す起爆剤として、“音楽”を超えるものはないかもしれない。吹奏楽部で一緒だった(旧姓)N君が、当時我々が一生懸命演奏していた曲をi-Phoneに仕込み、仲間たちに聞かせてくれるという、素敵な演出を用意してくれていた。自分の楽器で演奏したパートを各々が口ずさみはじめると、興奮は極大に達し、私を含む吹奏楽部の仲間たちは、音楽室で時間が経つのも忘れてはしゃいだ。


この日、30年ぶりに会った旧友の姿に過去の自分を映し出し、自らの30年の進化を振り返ったのは私だけではなかっただろう。


一時は消えながらも30年の時を経て蘇った、懐かしい“相利共生系”のネットワークが、新たな進化の歴史を紡ぎ出すのかもしれない。