一家団欒 vs. 夜の会合 _ My Life

mich_katz2008-03-10

ワンショット〜 素材にこだわった手作りの小っさな桜餅(左) それは餡子の苦手な人用 美味かった〜 ごちそうさまでした(内田美智子作)



先日の子育てシンポジウム。一番印象に残ったことをカミさんと二人でふりかえった。私にとって一番印象的な言葉。それは、


「実は私は夜の講演を受けていないのです。」という内田先生の言葉。


「夜の講演は、夜の授業参観と同じ意味があります。それは『あなたたち子どもの都合よりも私たち大人の都合の方が大切だ』というメッセージとして子どもたちへ伝わるのです。私は、この時間、やはりみなさんに家族で過ごして欲しい。」


この講演の企画担当ではないが、仲介した私としても責任を感じた。私の反省点だ。……と同時に、自分自身が内田先生と同じように感じたエピソードを思い出していた。


私自身、学童保育の保護者代表を勤めて3年になる。会合は夜7時半から。時間は短くて2時間。長い時には3時間以上に及ぶこともある。そんな会議が月数回に及ぶことも珍しくない。


「会議を始める時間だけでなく、終わる時間も設定しましょう。終わる時間が決まっていれば、時間内に何をどんなふうに決めていくかを意識しせざるをえません。そうすれば脱線することも少なくなるでしょう。それは誰にとってもハッピーなことだと思いますがいかがでしょう。」


ある時、私はそう提案した。しかし今日に至るまでそれが徹底されることはなかった。


保育園児と小学生低学年のお嬢さんを持つ保護者仲間のOさん。今年度より保護者代表となった。会合には二人の子どもをしばしば同伴される。話し合いをする大人の側で無心に遊ぶ子どもたちを見て思った。


「私たちは子どもの健全な成長を願ってこの活動をしている。なのに今この傍らで夜更かしをしてる子どもたちがいる。大人の都合で子どもが犠牲にされている典型ではないだろうか。」


そう感じた私は、思ったままを役員たちに伝えた。それでも会議を早めに終わらせようとする努力はされなかった。たまりかねた私は「二人の子どもを我が家に預けてもいいですよ。帰りに引き取っていけばいいじゃないですか。」と何度かOさんに声をかけたが、遠慮されてか、実現しなかった。


昨日の会議。「昼1時から」との案内に対し「2時間以内でかたづけましょう」と返信した(本当は1時間以内としたかった)。1時前に会場に到着。招集した人は別の人とおしゃべりをしていたが、1時になっても一向に動く気配がない。たまりかねて、さっさと会議する場所を準備し始めると、向こうの部屋でやると言う。


移動。みんな座る。……とそこで、何人かがおもむろに注文した弁当を取り出し食べ始めた。「先ほどのおしゃべりの時間は何だったんだろう。」「食事をしない人は何をすればいいのだろう。」そう思った。また、たまりかねて言った。「で、今日は何をするんでしょう?」


「子どもに『お母さん、夜遅く出て行って欲しくない』と言われました。来年はこの仕事を引き受けられません。」


そう言ったのは、役員をされている別の保護者仲間Kさん。わたしは「そうするべきだと思います。巻き込んでしまって申し訳ありません。」と言った。


自分のポリシーと矛盾した行動だけはとりたくない。
夜の一家団欒を大切にする保護者会をつくろう。


内田先生に諭され、そう心に誓った。


一家団欒“ここ”にあり

ここ―食卓から始まる生教育

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