竹下流写真術 _ My Life
ワンショット 〜 魚戸先生による弁当の日軍団の似顔絵。あそこに居るのは私ですよネ?
先日の食育WS。終了後の大人の時間。弁当の日で繋がった竹下先生の長〜い語りをたっぷり聞けた。実は、1月末に香川を訪れたときも殆ど話を聞けなかった私。それゆえ、竹下先生のお話をゆっくり聞ける初めての体験だった。濃密で楽しいひと時が過ぎた。
先生は私と同様カメラが趣味。使用してるレンズの種類についてメールでやり取りしたこともある。先生とのカメラ談議は楽しい。
私「先生。今回のWSでの先生の講演は私にとって発見でした。なぜなら、撮った写真の一枚一枚に撮影者の説明を付けることで、すばらしい物語になることを知ったからです。」
竹下先生「私は、撮ると同時にキャプションを付けますから。」
心の動きを読みながら撮る。
驚いた。
私「キャプションを付けながら撮るという発想は今までの私にはありませんでした。だって、動きがある人を撮る際に、植物を撮るのとは違って、スピードが命だと思っていましたから。」
竹下先生「比良松さん、今日、何枚撮りました。」
私「150〜200枚くらいだったと思います。いろんな仕事もこなしながらでしたから。」
竹下先生「私は600枚撮りました。撮った写真を帰ってどう処理するかが悩みですよ。」
私「600枚ですか?!」
講演時間の1時間を差し引くと4時間で600枚。1時間当たり150枚。1分当たり2.5枚。24秒に1枚。24秒ごとにキャプションを考えて写真を撮れるということ?
スゴい………。考えながらそんなスピードでは撮れません。
竹下先生「今日のような撮影は、100mmの単焦点(ズーム機能がない)レンズなんですよ。だから、画像からはみ出てしまった部分も含めてキャプションを付けます。それも、逆に、醍醐味なんですよ。」
見えてない部分まで考えながら撮る。
長方形の限られたスペースの中に、線や点を如何に見る人にとって心地よい状態で配置するかを、撮影のモットーにしてきた私にとって、コロンブスの卵のような、衝撃的なコメント。
写真の醍醐味は、撮る人の考え方次第でいくらでも広がる。
学ばせて頂きました。
竹下先生 ありがとうございます。
(出張先の東京にて)