幸せの条件


先日、祖母に会った。


9月で101歳。


昨年の100歳のお祝いの時は、内田先生から伝授して頂いた技を使って、親族の思い出の写真と温かいコメントをたくさん盛り込んだスライドショーをプレゼントした(http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/20070904)。祖母は大変喜んでくれた。親族にも好評だった。


それから1年。少しずつ体力が衰え、意識もはっきりとしない時があると言う。在宅で定期的に点滴を受けている。お見舞いに来た人が話しかけても、言葉が以前のようにたくさんは出てこないと言う。


そんな弱り切った祖母が、私が会いにいくと、たどたどしくも、ほんとうに“一生懸命”話しをする。


「親族で唯一学位をもっている人。」


聞く所によれば、それが私に関する祖母の口癖らしい。この日もその話しが出てきた。私自身、学位取得に値しない業績で学位を頂けたと思っているので、それをとてもスゴいことのように語ってくださるのがとても気恥ずかしい。


ただ、それよりももっと印象的だったことは、私がとうの昔に忘れてしまっていたことを語ってくれたことだ。


「私が目の手術で入院していた時に、毎日のように病院に来てくれて……。」


私が市内の高校に通学している頃、祖母は、白内障(だったと思う)の手術で高校の近くの病院に入院した。学校から徒歩で行ける距離だったので、時々、会いに行った。私はすっかり忘れていた。しかし祖母は、そのことを20年以上経ち、脳の働きが弱ってきた今になっても、私に対する思い出として語るのだ。


何気ない私の行いが、祖母の幸せの記憶として残っていることを気付かされ、私自身がとても幸せを感じた。


出会う誰かの幸せに貢献できることが、人の幸せを決めることだということを感じた一時だった。


去り際に祖母と握手をした時の感触が印象的だった。
101歳の手のひらはとても柔らかかった。