学童版弁当の日、ゆっくりと、でも確実に


日曜の大丸エルガーラ・弁当の日シンポで学童保育版弁当の日を紹介させて頂いた。


実を言うと、夏休みの頃、私は今回のシンポで発表することを諦めていた。5月、小学校PTA会長に就いた私は、学童保育所の会長職を退く時、弁当の日を学童保育の保護者たちに託したつもりだった。しかし、去年第一回目を実施した運動会の代休、そして、第2回目を実施した夏休みになってもなかなか実践する気配がなかった。「学童保育初の弁当の日も一年きりか」と思った。


その諦めかけた私を動かす出来事があった。それは9/21(http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/20080921)に紹介した出来事。学童保育弁当の日第2号が出たこと。そして、小学2年生のちびっこ伝道師が転校先の学童保育所で弁当の日の火を灯してくれたことだ。「河東小学童保育の弁当の日の想いを伝える人たちがいる。」私は、その出来事に勇気付けられ、本家学童保育弁当の日を絶やしてはならないと思った。


しかし、弁当の日シンポと同じ日に市内各地で運動会やスポーツの試合、習い事の発表会がかぶっており、出演児童探しはほんとうに難航した。ようやく副会長の娘さん二人の出演を取り付けたのがシンポ2週間前。そこから、その子たちに一度でも今年度第1回目の弁当の日を体験してもらおうと、弁当の日をシンポ1週間前の10月4日(http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/20081004)に企画した。……が、なんと、シンポ出演予定の姉妹は急なハプニングで当日欠席。結局、本番は昨年の弁当の日のネタで発表するしかなかった。


それでも、エルガーラホールに集った大勢の人たちの前で、学童保育版弁当の日を伝えることができた。異年齢の子どもたちが一斉に弁当の日をやることの意味。働く親が子どもたちに弁当作りをさせる意味。その二つの大切なことだけを、持ち時間を短縮しつつ、しっかりと伝えたと思う。いっしょにステージに上がってくれた3年生のHちゃんも、会場の熱気に圧倒されて緊張でガチガチになりながら、一生懸命インタビューに答え、大役を果たしてくれた。頂いたチャンスを有り難く思い、大事に使った。


時間の関係で会場では伝える事ができなかった、ちびっこ伝道師のことを懇親会の席で皆に伝えた。その話しを聞き、「ほぉ〜っ!」と感嘆の声を上げながら拍手する竹下先生を見た時、私は一気に力が抜けた。その日の自分の役目をすべて果たしたと思った。


そして、今日、河東小学校学童保育の弁当の日が西日本新聞夕刊コラム”潮風”に紹介された。もちろんMさんによる取材。

「いただきまーす」。福岡県宗像市、河東小学校の学童保育所「どろんこクラブ」に、元気な声が響き渡った。学童保育所は、共働きや父子、母子家庭の子どもたちが、放課後などを友達や指導員と過ごす場所。このクラブでは土曜日はお弁当の持参日で、中でもこの日はいつもと少し違い、子ども自身が作った弁当を持ってくる日だった。スタートした昨年は五回行い、今年も継続中だ。
弁当作りは強制ではない。子どもがおにぎりを握り、親がおかずを作ってもいい。レンジでチンしたり、詰める作業を手伝うだけでもいい。保護者と保育所で話し合い、各家庭の状況に応じて、少しでも子どもを台所に立たせようと決めた。
小学一年の柴田栞七(かんな)ちゃんは、自分で握ったおにぎりをうれしそうに見せてくれた。「お母さんがバクダンおにぎりって名前つけてくれたの」。弁当に付けているカードには「次はサンドイッチに挑戦したい」と書いてある。「お弁当開けたら、お母さんのサンドイッチも入ってたから」。栞七ちゃんは、次に腕を振るう日を楽しみにしている。お手本は、お母さんの卵サンドだ。


「継続は力なり」。竹下先生が講演の中で言われたその言葉を噛み締める。


こうしていろんな人に支えられながら、学童保育の弁当の日は、ゆっくりと、でも確実に、受け継がれ、そして広がっている。