効果的な言語教育とは

「大学の語学授業で一番面白い授業と一番面白くない授業。その理由も。」


本学の英語教育プログラムの改善を検討する委員からの依頼で、小ゼミ学生たちにそんなお題が出された。そこで私も一緒に考える。


私ならこう答える。
「全部面白くなかった。理由は、高校からの延長で翻訳中心。卒業時にまともに喋ることができた外国語はなかった。」


では、私の英語能力が最も伸びたのはいつだろう?
振り返ってみる。


たぶん3回。

  • 中2〜高1年のとき……大好きだったアメリカの映画女優に、一生けん命ファンレターを書いた。
  • 大学修士課程修了のとき……本場のジャズを聴くために借金してアメリカを1ヶ月旅行し、英会話がかなり上達した。
  • 社会人になってからの2年間……研究成果を公表するために、英語論文の書き方に関する書籍を10冊以上読み、初めて英語で科学論文を書いた。


こうして振り返ってみて思う。言語はコミュニケーションツール。つまり道具だ。使ってなんぼの世界。使う機会がなさそうな道具なんて持つ気が起こらない。小ゼミ学生たちの意見も概ねそんなものだった。


そう言えばひとつだけ素敵な授業があったのを思い出した。うちのカミさんが受けたドイツ語研修である。ある期間、本学でドイツ語会話を勉強し、一定の基準をクリアした者が、ドイツで文化や歴史を学びながらホームステイできるというおいしいプログラム。もちろん、費用はすべて自腹。それでも動機が明確だからドイツ語を学ぶ気が起こるという。ちなみに、映画サウンド・オブ・ミュージックの大ファンだったカミさんは、隣国の映画ロケ地を訪れた際に、喜びのあまり歌い踊ったらしい。私の英語力アップ同様、夢さえあれば語学力はアップするのである。



ただしそのドイツ語研修は、複数大学の教員のボランティア力に支えられていたので、今は消滅している。ちょっともったいない気がする。その研修のように、語学力修得の先にある魅力的なビジョンが具体的に示されれば、大学の語学プログラムはもっと活性化するのではないだろうか。