大学生版「あの時の、あの食事、あの弁当」その3


大学時代、私は、一人暮らしに憧れ、1年間だけ安アパートを借りて一人暮らしをした。


最初の頃は、近くの料理屋で比較的安い定食を見つけ、食べにいくことが新鮮で楽しかった。
しかし、1ヶ月も通えば、全ての定食メニューを一通り食べてしまい、濃いめの同じ味に飽きてきた。
かと言って、別の料理屋でも大差なく、さらにお金をかける財力もなかった。
そしてなによりも、一人で食べる時間がつまらなかった。


一人暮らしをして改めて気づいたのは、
飽きないように、毎日、工夫して料理を作り、食べさせてくれた母のありがたさだった。
一緒に食卓について食べてくれた母のありがたさだった。

 今年4月、私は大学生になり独り暮らしを始めました。それまで母にしてもらうのが当たり前だった掃除洗濯などの家事全般や、もちろん食事の仕度も、自分でしなくてはいけなくなりました。
 母は、私がまだ実家でくらしていたとき、台所が汚れるのを嫌って私に料理をさせてくれませんでした。そのため、独り暮らしを始めたばかりのときは、作れるものとしたら卵焼きや目玉焼きぐらい、といった具合でした。
 初めて自炊をした日、私は携帯サイトでおいしそうな料理を調べて、そのレシピどうりに作りました。おいしくできたが、なにか物足りないと思いました。自炊になれてきて、おかず1品だけでなく、2品ぐらいつくって、充実した食事をとっても、なにか満足できませんでした。たくさん食べてお腹いっぱいになっても満足できませんでした。
 私は、食事の満足感が、単に満腹感からきているのではないのだとわかりました。実家で家族と食事をとっているときは、私はたくさん食べる方ではなかったが、それでも食事の後は満足して、幸せな気持ちになっていました。家族と会話をしながら、楽しく、ゆっくりと食事をすることが、満足感につながっていたのです。
 私は最近、母のつくる肉じゃがだとか、お煮しめだとかをよく思い出し、真似して作っています。こんな味だったかな、いや、違う、もうちょっと甘かったかな、など試行錯誤したり、時には母に電話して調理法を聞いてみたりしています。そうしてできた肉じゃがやお煮しめは、実家で食べていたものとよく似ていておいしいが、やはり、一人で食べるのと、家族と一緒に食べるのとでは、食事の満足感が全く違います。
 私は帰省したときは、必ず家で食事をとっています。


あなたの母親との命のやりとりを大切にして欲しい。
あなたの母親の味を次世代へと受け継いでほしい。