幸せな死


月曜日、祖母が他界した。


前日に誕生日を迎え103歳になったばかりのことだった。


他界する4日前、最後に会った時には、嬉しそうに手を握ってくれた。衰弱しているとは思えないほど、力強い握手だった。話している間、何度も何度も握手してもらった。


そして私が差し入れた砂糖無添加の天然麹甘酒を、一生懸命に飲んでくれた。この2週間ほど点滴生活で何も口にしていない祖母にとって、それが久しぶりの食事であり、人生最期の食事になった。


「点滴がもうすぐ終わるけん、点滴針を抜いとってくれんネ」


これまでずっと付き添ってきた叔母が、仕事帰りの叔父を迎えに行く前に、私にそう言った。一度もやったことのない作業に最初は躊躇したが、祖母に触れることができるよい機会とも思い、やってみることにした。


祖母は少し興奮して疲れたのか、周囲に聞こえるほどの寝息をたてて寝ている。左腕にしっかりと張り付いたサージカルテープを剥がそうとすると、青白い血管が透けて見えるほど薄くなった皮膚が今にも破れそうな感じで引っ付いてくる。テープと皮膚の隙間をホウ酸水で湿らせながら、ゆっくりゆっくりと、恐る恐る慎重に剥がしていく。ときどきぴくっと腕が動く様子から寝ていても痛がっているのが分かる。30分ほどかかってようやくテープを奇麗に剥がし、点滴針をそっと抜いた。可塑性を失った薄い皮膚に小さく、だが、ぽっかりと空いた丸い針の穴が痛々しかった。


その作業をしながら気付いたことがあった。肌が白くまるで鑞を縫ったようにピカピカに光り輝いているのだ。老人は特有の臭いがすると聞いていたのだが、その話とは裏腹に、まったくいやな臭いがしなかった。それを感じたとき、叔母が如何に祖母の身体をこまめに労り続けていたかを瞬時に悟った。ほんとうに頭が下がる思いだった。


その後も時間が許す限り祖母とお話をした。と言っても話す力はほとんど残っていない祖母。言葉にならない声を時々絞り出すように発しながら、骨と皮だけになったか細い右腕を持ち上げ、手振りで何かを伝えようとする。私を見つめるまなざしが何かを一生懸命伝えたいという気持ちで溢れていた。私は、話が通じないのがもどかしかったが、それでもその会話にならない会話が愛おしかった。


その4日後、誕生祝いに花束を贈った長男(叔父)夫婦のお祝いメッセージを電話で全部聞き終わり、その数時間後、静かに息を引き取った。まるで、子どもたちや孫たちへ、全てのあいさつをきっちり終えたことを分かってたかのようだった。


葬儀の日。予定していた中学校での午後の講演が大雨のため中止になった。おかげで祖母の火葬と納骨まで見届けることができた。偶然ではないような気がした。


いつも私は講演で言っている。「この世に生まれてこれない命がたくさんある中で、生まれること自体奇跡である」と。


ばあちゃん、生まれてきてくれてありがとう。
僕の母や叔父、叔母を産んでくれてありがとう。
幼い僕をいつも風呂に入れてくれてありがとう。
小学生時代、先生に対してため口で話す僕を叱ってくれてありがとう。
僕が大学生時代に育てた種無しブドウをおいしいと言って食べてくれてありがとう。
甘酒を最期に飲んでくれてありがとう。
人生の先生でいてくれてありがとう。
また、僕のばあちゃんとして生まれてきてください。


そのようにお別れの言葉を心でつぶやいた。


こんなに悲壮感のない清々しいお葬式は私の人生では初めてだった。
多くの親族がそういうふうに感じていたと思う。
そんなふうに思われることほど幸せな死はないのかもしれない。


ただ、私は一度だけ泣いた。


祖母から最も信頼されていた長男の叔父が喪主として棺桶に花を手向けるとき。
あまたの母の愛を受けた子の母への想いはかくも感動的なものかと。


「私はあなたを愛するために生まれてきました。」
叔父の後ろ姿がそう語っているように見えた。


そういう愛を祖母は私に教えてくれたのだと思う。