小ゼミ“いのちの授業"〜今、伝えたい私の気持ち10

お母さんへ

 私は生まれてきてよかったと思う。いきなりこんなこと言って何やねんと思うかもしれない。私だって今までこんなことや命、出産についてなんて真剣に考えたことがないし、意識にのぼったことはないと思う。むしろきれいごとだと思って、考えることが恥ずかしくて意識的に避けていた。でももう大学生になったわけやし、これからどんどん大人になっていくんやから、親になるということや自分の子供というものについても考えやなあかんのかな。
 私を生んだとき、正直どうでしたか。前質問したときは適当に茶化してたけど、やっぱ嬉しかったですか。
 昨日の授業で、出産は人生の感動の一瞬やと知りました。そりゃあ女性にとっては陣痛とかものすごくしんどいやろうし、私は男やから本当のことは分からない。でも新しい命との対面ってものすごく神秘的で感動的であるっていうのはだれも変えられへん普遍的なこと。おばあちゃんが生まれたとき、お母さんが生まれたとき、そして私が生まれたときと、感動はまっすぐにつながっているんやね。とてもダイナミックやと思った。今世の中では毎日のように日本中のあちらこちらで新たな命が生まれていて、そのひとつひとつに様々なエピソードがあるって本当に幸せなことだと思う。
 それなのに、最近はだらしない親が増えているらしい。ろくに料理や洗濯といった家事ができなくて子供の世話もできひんって考えられへん。虐待とか、炎天下の中自動車の中に子供を放置して死なせたとかも、もとをだとればそういうことにつながるんやと思う。ニュースとか見てはしょうもないと思ってたけど、自分もそういうことをしてしまう可能性があるってことやねんな。私はまだまだ生活力が足りん。もっともっとつけやなあかんと今頃になって気づいた。お母さんが1人暮らしをあれほど心配してた理由がわかった。
 こんな私やけど、お母さんはほんまによくここまでつきあってくれた。前述した親みたいなことはもちろんなかったし、アホやと自虐しつつも家事の要領もええし、見習うべきことがたくさんあります。弁当の話については謝りたい。ごめんなさい。ひとりで弁当を作らなあかんことがあって、弁当作りの苦労を知った。高校までは毎日当たり前のように作ってもらって何の感謝の気持ちも持たず、ちょっと作るのが遅れると怒ったり、家帰ってきて○○美味しくなかったという感想のべたりしてた。お姉ちゃんや妹は良い感想言ってるのになんであんただけ、とよくぼやいてはったのは当たり前のことやったんや。
 私はまだまだ未熟です。弁当どころか料理はおろか、スーパーでの買い物さえひと苦労する。今までお母さんの料理している姿や買い物風景などさんざん見てきたのにそれを活かせてない。まったく成長してへん。このままではだらしない大人、親になっても仕方がないと思う。でもそれは嫌だ。しっかりした人間になりたい。欲を言えば、はずかしいけどお母さんのような人になりたいと思う。家を離れてもうて関わりが減った気がするけど、教わらなあかんことがたくさんあります。まだまだお世話になります。この先も付き合い長いやろうけどよろしく。


 最後に。私を生んでくれてありがとう。私をここまで育ててくれてありがとう。生まれてきてよかった。お母さんの子でよかった。


母は偉大なり。