食で育つ心 〜 小ゼミ「いのちの授業」第2回FW


今月13日の小ゼミフィールドワークの日。
「弁当の日」ということは特に知らされることもなく、
受講生たちは「秋」をテーマにしたおかずを一品ずつ持ち寄った。
初めて弁当を作ったという学生もいた。


彼らが作った一品の数々。


サツマイモ料理



里芋料理



キノコ料理


ナス料理


カボチャ料理



最初から自分の料理に自信を持っている人なんかいない。
自分が手づくりした料理を「美味しい」と言ってもらえるか。
自分が手づくりした料理を残さずに食べてもらえるか。


そして彼らは気付く。
如何に自分が親の手料理に支えられていたかを。

  • 誰かを想って作る大切な気持ちが、すごくあたたかいなと感じました。食べてくれる人がいる喜びや、誰かを想って作る喜びを感じることは、とても素晴らしいです。
  • 弁当の日に、身がボロボロになったサケとご飯に混ぜることを思いついた子の話を聞いて、幾田先生の「適当に」という言葉を思い出しました。その子も楽しんで作っていたんだと思います。大学生の私が今回の弁当の日で一品を作る時、後ろからいろいろとああじゃない、こうじゃないと母から言われました。母を安心させられるようになりたいです。
  • 弁当を自分で作った人は、ほとんどの人が自分の親に感謝します。そんな感謝される親になるというのは素晴らしいと思います。こんなに素直に親への感謝を実感できるなら、もっと弁当の日が広がるといいなと思います。自分が親になっても、親への感謝は忘れてはいけないと思いました。
  • 食事を通して親から子への愛、子から親への愛が伝わってきました。今までずっと私に食事、弁当を作ってくれていた母への感謝の気持ちが湧いてきました。久しぶりに実家に帰ると、つい甘えて何もせずに母の手料理が出てくるのを待っている。私が手伝いをしたり、何かを作るようにならなければ。
  • 人に食べてもらうことの喜びを実感する。私も弁当の日を体験して、ほんとうにそのとおりだと思いました。毎日、当然のように弁当を作ってくれていた母への感謝の気持ちを、今、持てたことが、何よりも良かったと感じています。実家に帰ったら、家族に料理を作ってあげたいです。母親にもっと感謝の気持ちを伝えたいです。
  • 思い出したのは母のことです。毎朝5時すぎには起きてご飯とみそ汁を作ってくれていました。夜も仕事帰りで疲れているだろうに、文句ひとつ言わずてきぱきと作っていました。
  • 「弁当には食材の命とともに、作った人の命も含まれている」という言葉を見て、弁当の日にみんなのおかずを食べながら手間や苦労を考えたことを思い出しました。私も母に感謝の気持ちを抱きました。私は一人暮らしを始めるまで実家で料理をすることはほとんどなく、母は私がいるときは少しずつ料理のコツを教えてくれていたのに、覚えているのは半分程度でした。今一人暮らしをしていてもっと料理をちゃんと習えばよかった、料理の手伝いをすればよかったと思いました。この授業を通して自分が親になったときの準備をしたいと思います。
  • 只々親に感謝です。私は今まで母が料理を作ってくれるのが当たり前、少しでも嫌いなものをつくると平気で残したりしてました。今とても後悔しています。自分でお母さんに作ってあげるなんてことしていませんでした。今週末実家に帰るので、家族にご飯を作ってあげようと思いました!将来、自分だけでなく、子どもや家族の健康管理もしなければならないから、子どもにたくさんのことを教えることができる母になるため、今のうち、たくさんの料理を勉強したいです。
  • 私は自宅生なので、いつも親に頼りっぱなしでそのありがたさを見過ごしていました。私が気づかないところでも、私のためにたくさんのことをしてくれている親への感謝の気持ちも、授業を通して気づくことができました。親に頼ってばかりでなく、これから、自分からもっと積極的に家事を手伝っていこうと思います。弁当の日が九大であったら是非参加したいと思いました。
  • 母親への感謝がまた改めてわき、学校から帰って夕飯の支度を手伝いました。文句を言わず、毎日栄養をきちんと考えて食事を作ってくれる母親には感謝の気持ちでいっぱいです。今まではお味噌汁を作ってもらっていましたが、この食改善の1ヶ月は自分で作るよう努力したいです。食べることはいろんな命をいただいていることなのだから、そのことに感謝して日々の三食を大切にしたいです。
  • 今まで母親に対する感謝の気持ちが足りなかったと痛感しました。というのも、僕の母親は朝食を毎日きちんと作り、僕が高校生になると毎日手の込んだ弁当を朝早くから作ってくれました。そのことが自分の中で当たり前のことになり、時には朝食の品数が多すぎて食べる時間がないと文句を言ったこともありました。今考えてみるとひどいことを言ってしまったなと思います。しかし、そんなことを言われても母親は毎日これまでと変わらずデザートまでつくってしっかりとした朝食を出してくれていました。母親の作った弁当についても、冷凍食品なんてほとんど使わず色どりまで考えて作ってあって、正直友達のどの弁当よりも誇れる出来でした。先日の弁当作りや講義を受けていく中で、これらのことは本当にすごいことで、あたりまえのことじゃないんだと思いました。もしこの講義を受けていなかったら、そして弁当の日をしなかったら、このようなことには気づけなかったと思います。今日から一ヶ月間がんばって、少しでも母親の苦労を実感していきたいと思います。今朝は早速昨夜作りおきしておいた幾田先生直伝のみそ汁のタネを使ってみそ汁を食べました。今までみそ汁を作ったことはなかったのですが、朝の時間がないときでもみそ汁が食べられることが分かりました。おいしかったです。
  • 土曜の弁当の日のため、前日からこんにゃくやニンジンをゆでたりしました。バイト帰りで夜遅く、疲れていたこともあり、鍋にこんにゃくとニンジンを入れたまま、寝てしまいました。それを、翌朝、私より早起きした母が見つけました。ニンジンはふやけて使いものにならない状態だったそうです。母は、私が起きる前に新しいニンジンをゆで直してくれていました。それなのに、私は、朝起きて、材料を鍋で炒め、味付けをしながら、「面倒くさい」「眠い」……などと母に文句ばっかり言ってしまい……。弁当の日に参加しながら、こんなに手間のかかることを毎日毎日してくれていた母親の顔が脳裏に浮かんできて……。私が学校やサークル、バイトで家にいない時でも、母は、私のことを考え、家事をこなしてくれていたんだと思うと、涙が出そうになりました。母に「今まで、ごめんなさい」、「ありがとう」と伝えたいです。
  • 私は中学の頃から塾に通うようになり、家の手伝いを全くしなくなりました。母からは「小学校の時は、暇さえあれば手伝ってくれてたのにね」なんて言われるのは、今に始まったことではありません。たまに早く帰宅したきた時でも、部屋にこもり、自分の好きな事ばかりやっています。18時すぎに帰ってきた母に、「家におるなら洗濯物くらい取り込んでくれたらいいのに」と言われます。普段しないので、"夕方=洗濯物を取り込む時間"という事も分からなくなってしまっていたのです。料理はもっての他です。口ではもう大人やけん!!と言い、家事以外の事では自分でしたがっていますが、料理や洗濯などは母に任せっきりなのに気付きました。母には申し訳ないと思う気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。今日は帰宅して、ちょっと恥ずかしかったけど、母にありがとうと伝えました。明日からは朝の味噌汁作りを頑張ります!!
  • 今までの私は両親への感謝の気持ちをほとんど持たずに毎日を過ごしていたことに気づかされました。そこで、家に帰ってから今までどれだけ両親にお世話になったのか思いつくだけ心のなかで挙げてみました。そしたら、朝、昼、晩毎日欠かさず(主に母、母が忙しいときは父)美味しいご飯を作ってくれている、洗濯を毎日してくれる、いつも家を綺麗に掃除してくれる、私の意志で小・中・高私立に行き金銭的負担をかけていた、お金や家族の協力(レッスンが深夜に終わるため送り迎えが必要)がとても必要な趣味のバレエを全力で応援してくれていた、などきりがないほどどんどん挙がってきました。お手伝いをしていたといっても時々お風呂洗い、洗濯物を取り込むぐらいで全然お手伝いになってないなかったと思います。いつも当たり前のように全部してもらって感謝の気持ちをほとんど持っていなかった自分がすごく恥ずかしくなりました。だから今日お母さんに、今までの感謝の気持ちを込めて、面と向かっていうのは恥ずかしかったけど、ありがとう!!と言いました。突然なに??と不思議がられましたが、私の思いが伝えられてスッキリしました。また、感謝の気持ちは行動でも示すべきだと思うので、朝御飯は私が家族の分作る、と今日父と約束しました。他にも私ができるお手伝いは、自分の部屋にこもらずに積極的にしていきたいし、していかなければいけないな、と思いました。昨日の授業は、私にいろいろな事を気づかさせてくれたのですごくためになってよかったです。この気持ちを忘れずに、また忘れそうになったらこの感想を読み返して、感謝の気持ちを常に持って生活していきたいです。 お母さんみたいな人になりたい!


この日、実家通いする女子学生の自宅にTVカメラが入り、彼女の弁当づくりの様子が取材された。
その彼女が、昨日、小ゼミの終了後、その時の感想や出来事を話してくれた。


「実は、我が家は両親が料理に熱心だから、私は料理をした経験がほとんどなかったんです。」
「そう。じゃあ、ず〜っとそのまま、自炊をしない、自炊ができない大人になってもよかったと思う?」
「う〜ん………。」
「このゼミを受講しなければ、自炊に挑戦しようなんて思わなかったかもしれないよネ。将来、子どもを授かった時、子どもの身体に入る食べ物の良し悪しを左右するのは親。料理のすべてを買って棲ませる生活になるのか、このゼミをとおして今のうちに少しでも自炊できるようになり、将来、子どもに手料理を食べさせることができるようになるのか。どっちが幸せだろう?」
「手料理ができる方だと思います。」
「仮に子どもを授からなかったとしても、人に手料理をプレゼントできるというのは幸せなことだと思うよ。」
「私、“弁当の日”本番前に練習して作ったコロッケを大学に持って行って、友達に食べてもらったんです。全然自信がなかったんですが、友達が『すごい!』『美味しい!』って言ってくれた時、ほんとうに嬉しかったです。」


誰かを喜ばせることができる人は、いつかきっと、誰かに喜ばせてもらえる。
それが幸せの法則。