感謝して生きる


本日の講演は私にとって運命的な講演だった。


中学生向けの「いのちの授業」。


「食(料理)を他人に任せるのか?それとも、自分でつくるのか?」


そういう二者択一の問いかけをテーマに展開し、最後は、


「何にでも不満を言うのか?それとも、何にでも感謝するのか?」


と投げ掛けて、中学生でガンを患いながらも最期まで人を思いやることを忘れなかった猿渡瞳さんの闘病記を引用したスライドショーを使った。


スライドショーをスタートすると、生徒たちがざわざわとしはじめる。しばらくして、演題から離れて立っている私に、校長が耳打ちしてくださった。


「彼女、この学校の生徒だったんです」。


鳥肌がたった。


「弁当の日」を始めた頃、瞳さんの闘病記「瞳スーパーデラックス―13歳のがん闘病記」(西日本新聞社)を読み、何事にも不満を言わずに感謝し、一日一日を大切に生きる生き方を大人の私も学ばせていただいた。


その後、講演をするようになり、瞳さんの謙虚で誠実な生き方を若い人たちに伝えようと、中高生向けの講演や大学の講義で、今日と同じスライドショーを何度も使ってきた。その度に、多くの若者が目に涙を浮かべながら、彼女の生き方に共感してくれた。


それほどお世話になってきた瞳さんの母校で、彼女の後輩たちにお話をする機会を頂くという、今日は運命的な日となった。


実は、3年前、この中学校と同じ校区の小学校で講演をさせていただき、そのご縁で、PTAの母親代表の方々が、今回の講演会を企画してくださった。人は、導かれるべくして導かれ、生きているのだと感じずにはいられなかった。


講演終了後、「あの小学校での講演会をきっかけに“おにぎりの日”が始まって、今でも続いているんです。それを体験した息子が、中学生になった今でも、台所に立って料理をしたがります」と、私を招待してくださったPTA委員さんが伝えてくださった。


講師冥利に尽きるこうしたメッセージを頂けるのも、もとはと言えば、瞳さんのおかげである。


「瞳さんの同級生が、今年、教育実習で本校に来てくれたのですよ」と校長室で校長が教えてくださった。


瞳さんが生きていたなら大学生の年頃。彼女なら、きっと、キラキラと輝く素敵な大学生に育っていたに違いない。何事にも感謝して謙虚に生きることができる瞳さんのような若者を育てていくことで、彼女の恩に報いることができるのだろうと思う。


校長室の本棚に並べられた本を眺めながら、改めて、猿渡瞳さんのご冥福を祈りつつ、「大切なことを教えてくれてありがとう」と感謝した。