いのちをいただく _ Cumpus Life

mich_katz2008-07-28



パーーーン!


と大きな乾いた音が辺りに響いた。


火薬臭い空気の中で横たわったその生き物の体と四本の足が痙攣している。その後ろ足をつかんで引っ張り出された生き物の喉元に手早くナイフが入られると、どっと血が流れ出す。ここまで、ほんの数分の出来事だった。


「本(http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/20080401)に書いてあったとおりだ。」と私は思った。

  • なるべく苦痛を与えない。
  • 放血は生きているうちにやる。


屠畜の大切なポイントである。


鋭く刃を磨いだ三本のナイフ。そのうちの一本で、まず、性器を切り落とす。「この処理を誤ると肉がとても臭くなってどうしようもなくなる」と、脇で見守る農婦が言う。


そして皮はぎ。腹部に縦に刃を入れ、浮いた皮を左手で引っ張りながら、薄く削ぎ取っていく。皮下脂肪を肉側に残し、削いだ皮部分に獣毛の付け根が見えるのが理想だそうだ。あれよあれよと言う間に半身の皮が剥がれていく。


しかし、やってみるとこれが意外と難しい。獣臭がする皮の外側を握った左手で、決して肉を触れてはいけない。しかも、胴回りの“よろい”と呼ばれる板のように堅い脂肪がついた皮部分を削ぐのは大変だ。すぐに皮に穴が空いてしまい、思うようにはかどらない。


そんな我々のもたもたした作業の後に、指導者が作業をすると、その差が歴然とする。それほどその男性の捌きの技は見事だった。あまりにも素早く、奇麗なものだから、残酷さをほとんど感じさせない。逆に、もたもたして、汚せば汚すほど、残酷に見えてしまうのだろう。捌きの技を熟練するということは、私たちが頂く命への敬意とも言える。


ようやくもう一方側の皮を削ぎ落とし、足先を切り落とすと、モツを取り出す作業へ。のこぎりで股関節を引き割るシーンは、見ている者の股関節をムズムズさせる。その後、喉元からシッポへ向かってナイフを走らせると、胸部に真っ赤な心臓、肺、胃袋、肝臓、腎臓が、下腹部に白い腸のかたまりが突然姿を現した。腸の上の部分を切り取り、その下に手を回したかと思ったその瞬間、あっという間にシッポの先へと腸のかたまりがすくい出された。続いて、同様の手さばきで、上部の赤いモツの塊も。


内蔵を失った肉の内側の空間は思ったよりも大きかった。その空間を水できれいに洗う。そして肉の塊が剥ぎ取った皮の内側以外に絶対触れないように気を配りながら、四人掛かりで後ろ足に縄をくくり付け、吊るし上げた。ここまで来ると、テレビの映像で見たことがあるような食肉の姿だ。


吊るしたかたまりは、後ろ足のもも肉、バラ肉、フィレ、ロースと切り分け、さらに細かく切り分ける。この作業は代わる代わるみんなでやっていく。不思議なことに肉からは獣臭はしない。捌きに技術がちゃんとしていれば、臭みのない肉を取ることができるのだ。


約2時間。こうして私たちはようやくイノシシの肉を手に入れることができた。


「わしの技術は、この地域ではおそらく一番たい。ここまでなるのには20年はかかるけんな。」


捌き方を指導してくださった方の、その一言がとても重く、印象的だった。


生き物の命を頂くことが、修得に20年もかかる技の伝承によって支えられてきたこと。それが、この日の体験での私が学んだことであった。犠牲になった命、伝え続けた命を噛み締めながら、私たちはその日の糧を頂いたのだった。


いただきます。
そして、
ごちそうさまでした。