三つ目の幸せ

mich_katz2008-09-01

広大な海と田園を見渡せる小さな2階建ての建物の中に、ろうあ者が働く作業所がありました。


ろうあ者とは耳の聞こえない人たちのことです。
耳が聞こえない彼らは、うまくしゃべることができません。
聞くことやしゃべることができないので、新しいことを学習することもとても大変です。
字を読めない人もいます。
計算が苦手な人もいます。
幼い頃から健常者とは切り離された環境で過ごしてきたので、人と接することが苦手な人や、社会のいろいろなしくみを分からない人もいます。


そんな彼らに、そろそろ桜が咲きそうな気配が漂い始めたある日のこと、これまでに体験したことがない仕事が舞い込みました。
それはエコバッグを作るという仕事でした。


エコバッグというのは、買い物をする時に何度も使うことができるバッグです。
すぐに捨てられてゴミとなってしまうレジ袋の代わりになる、環境に優しいバッグです。
すぐに解れたり、破れたりするような縫い方では商品になりません。
ですから、今までの仕事よりもずっと細かく、複雑で、丁寧な作業を要求されます。
普通の人よりも新しいことを学ぶのが苦手な彼らにとってエコバッグ製作は大変なことでした。


それでも彼らは、その仕事を一生懸命練習しました。
時間はかかりましたが、ひとたびできるようになると、
指導員も驚くような、ものすごい集中力で仕事に励みました。
それまでミシンがあまり得意でなかった人が、とても上手に使えるようになりました。
下請けの仕事よりも少しだけ多い賃金が貰えるので、大好きな買い物の楽しみが増えました。
他のどの仕事よりも新しいこの仕事が好きになりました。
他のどの仕事よりも一生懸命にこの仕事に打ち込みました。
もっとこの仕事が来ないかなと思うようになりました。
作業所を包む雰囲気が、これまでとはちょっと違った感じで、少しずつ変わっていきました。


いよいよバッグが発売される日になりました。
彼らは職場の指導員に引率され、バッグを販売している地域のショッピングセンターにやってきました。
彼らはそこで新しい世界に触れました。


自分たちの作品がたくさんのお客さんの前で紹介されていること。
自分たちの作品を喜んで買って行く地域の人がいること。
自分たちの働きに拍手をしてくれる人たちがいること。
自分たちが誰かを喜ばせられるということ。
自分たちと地域の人たちが繋がれること。
そのどれもがこれまでに体験したことのない初めてのできごとでした。


自分たちの作ったバッグを指差し、身体を揺らして彼らは喜びました。


そんな彼らの活躍を見た親、新聞で読んだ親は、我が子を誇りに思いました。
そして泣きました。


彼らは益々エコバッグの仕事が好きになりました。
自分たちの仕事に誇りを持ちました。
もっとたくさんのバッグを作って、
もっとたくさんの人に喜んでもらいたいと思うようになりました。


もともと、このエコバッグには二つの幸せがありました。
レジ袋が減って、環境が守られること。
販売益が子どもたちの未来に役立つ本として小中学校にプレゼントされること。


そして、このエコバッグには、ここで紹介したような新しい三つ目の幸せが加わったのでした。
それは最初は誰も予想しなかった幸せでした。