忘れられない、あの時の、あの……


「オリジナルのネタが欲しいなぁ〜。」


食育講演を引き受けるようになってから、そう思うことが多くなった。


自分の食にまつわる体験を活かしたいとは思う。
あることはあるが思い出して書き起こすには時間がかかる。
また、新たな体験を積むにも時間がかかる。
しかも、個人が深イイお話に出会う機会は毎日のようには続かない。


そこで考え方を変える。


「私の」食にまつわる体験だけでなく、「みんなの」食にまつわる体験を活かすことならできるかもしれない。
みんなの食にまつわる”深イイ”話しををみんなで共有する。
例えば、ホームレス中学生の田村君のカレーと湯豆腐のお話みたいなエピソード。
それを宗像食育のつどいの最初の実行委員会の中で考えた。


でも問題はどうやってエピソードを集めるか。
食育ワークショップの中で。
いや、食育に関する講演会の方が多い。
じゃあ、講演会で。
いつ書いてもらうか。
「講演会で書く」と言えば、アンケートだ。
講演後のアンケートと一緒に作文も書いてもらう。


では、どんなお題にするか。


………
弁当の想い出。
弁当に限定する必要はない。
じゃあ、食卓の想い出。
今度は、弁当の想い出が外されてしまう。
食事と弁当の想い出
………


忘れられない
あの時の
あの食事
あの弁当


そうタイトルを書いた作文用紙を配り、参加者への作文協力を初めて試みたのは大島小中学校での講演会だった。


最初は「そんなの書けん」と大半の人に無視されると思った。
ダメもとで頼んでみた。


すると、予想に反し、みんな一生懸命書いてくださった。
会場に跪き、座っていた椅子を机代わりにし、アンケートよりもずっと時間をかけて、多数の方が書いてくださった。
その光景を見て「これはいいなぁ」と思った。


それ以来、講演やワークショップの会場では毎回同じお願いをしている。
作文がどんどん私の手元に集まっている。
私一人で読むのがもったいないような素敵な作文がたくさん。


時には、会場で書けなかった人が後で作文を送り届けて来ることがある。
昨日も、先月の学童保育研究集会で私が関わったワークショップに参加した母親から作文が届いた。


早速読んだ。
思わず泣いてしまった。

私は白いご飯を見ると思い出すことがあります。それは私が高3のときに亡くなった父のことです。


父は、大工さんで、真っ黒に日焼けして頑丈な身体の持ち主でしたが、悪性の脳腫瘍のため、発病して4ヶ月で亡くなりました。脳の手術を数回行いました。だんだん身体が弱って、自分で食事することができなくなり、流動食になり、点滴だけになり……。意識がもうろうとする中で「ひもじい、ひもじい」と言うようになりました。闘病のため胃に食べ物を入れることができなくなり、お腹が空いて仕方がなかったのでしょう。


父は、戦中、親戚を頼って疎開していました。幼い頃、食料不足の中でずっとひもじい思いをしてきただろうと思います。


亡くなる一週間前、意識もあまりない状態でしたが、無理を言って一晩だけ外泊させてもらいました。自分が建てた家に戻れて、「お父さん、家に帰って来たよ」と声をかけると、一瞬意識がはっきりして声をあげて父は泣きました。


その後、ほとんど意識は戻らず亡くなりました。平成元年1月8日。時代が昭和から平成に変わった日でした。


お通夜のとき、私がうたた寝をしていると夢の中に父が居ました。テーブルに座って白いご飯を食べています。傍で一年前に亡くなった祖母が父に給仕していました。私は驚いて祖母の足を見るとちゃんと足があります。父が、あまりにも勢い良く食べるので、「お父さん、そんなに急に食べたらまた死んでしまうのに」と心配しているところで目が覚めました。


不思議な夢でしたが、きっと、父は、家に戻って来て、白いご飯をいっぱい食べて、天国にいったのだと思いました。


今の世の中で「ひもじい」なんて言葉は聞いたことがありません。自分も本当にひもじい思いなんてしたことがありません。


白いご飯を見ては父を思い出し、ご飯を食べられることへの感謝の気持ちを決して忘れることがないようにと自分に言い聞かせています。


こんなお話をみんなで共有していきたいものです。
いろんなところで紹介していきたいと思います。