イタリア旅行記〜8

ローマ

偉大なる歴史を誇る街。
ならば歴史の勉強を……
となるのだろうが、にわか勉強は身に付かないのが常。


フィレンツェからユーロスターで到着したのは土曜の昼過ぎ。
明日は日曜。
滞在期間の“ローマは休日”。


多少旅の疲れも溜まっていたが、ある遊びを思いついた。
名付けてローマの休日を名画で辿る弾丸ツアー。
滞在期間の1日半でどれだけ映画ロケスポットを回れるかに挑戦した。


フィレンツェからユーロスターで到着したのは土曜の午後。
日曜は、ヴァチカンは観光客を受け入れない。
最初はヴァチカン巡礼。


午後2時40分。
サンピエトロ広場に到着。
「天使と悪魔」(ダン・ブラウン)で見たいくつかのシーンの記憶が蘇る。


確か、この西風の神のレリーフが次の殺人を解くヒントだった。


セキュリティチェックのため15分ほど行列に並び、サンピエトロ大聖堂へ入場。
カメルレンゴが最後に駆け込んだ大天蓋。



このすぐ近くにある聖ペテロの墓では反物質が発見された。



時刻は午後3時40分。
ヴァチカン美術館の入場最終時間は午後4時。
サンピエトロ広場を出て美術館の入り口までのおよそ600mを急ぎ足で歩く。
なんとか間に合った。


この美術館の展示コースの総延長は7km。
全てを見ようとすると5時間を超えると言う。


そこで目的を二つにしぼる。
システィーナ礼拝堂ミケランジェロの天井画。
レオナルド・ダヴィンチの未完の作品「聖ヒエロニムス」。


狭い館内でツアー客の波にまるで芋洗いのように揉まれ、システィーナ礼拝堂に辿り着いたのは、入館して30分以上経ってからのことだった。壁と天井を全体を余すところ無く使ったミケランジェロの迫力ある表現力。しかも、絵画の中の柱まで3Dで描くなど、彼の巧みな技法がそこここに見られる。私は、しばらくの間、礼拝堂の壁際にあるベンチに座り、彼の絵画を見入ってしまった。


ここはローマ教皇の公的礼拝堂であり、コンクラーベ教皇選挙)がおこなわれる場所でもある。そういう神聖な場所であるにもかかわらす、ここでは観光客のマナーの悪さがとても目立った。私語、撮影、ともに禁止ということになっているが、守る人はとても少ない。警備員にたしなめられた観光客の私語と写真撮影が一時的に止むものの、新たに礼拝堂へ入場する人たちの私語と写真撮影が押し寄せる波のように繰り返されるため、一向に抑止効果が見られない。私が礼拝堂へたたずんでいた間、警備委員たちの「Shiii…(Quiet)!」「No photo!」という言葉を何度聞いただろうか。


そんな騒然とした礼拝堂の中で、とても印象深い出来事があった。「No photo!」と警備員が叫んだ最中、保育園児くらいの子どもを連れて私の隣に座った外国人女性がフラッシュを焚いて写真を撮り始めた。見かねた私が「You cannot take pictures here.」と言うと、その女性がすぐに切り返した。「Ya, I know! But, I saw some persons took pictures.」。直後、彼女のフラッシュ撮影を目撃してやって来た警備員に「Turn off your camera's buttery! 」と厳しく彼女は指導された。「みんながやっているから……」と言い訳するのは日本人だけではなかったのだといということを、このとき私は悟った。


天井画を目に焼き付けた私は、喧噪を逃れるように早足で出口方面のピナコテカ(絵画館)へ急いだ。ダヴィンチの「聖ヒエロニムス」。未完でデッサン状態の部分が残る地味な絵だが、あの「モナリザ」のように、遠景の細部までこだわって描かれているところが彼らしい。その他、この絵画館では、当初の目的でなかったラファエロの「キリストの変容」が私の記憶に残った。美術館を出ると、午後6時を過ぎていた。


翌朝。旅の疲れが溜まっている。少し遅い朝食を済ませ、午後10時半、地下鉄をレプッブリカ駅で降り、共和国広場に出る。ここは、「ローマの休日」のアン王女がトラックの荷台から飛び降りたところ。


そこから歩いてすぐのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会へ。教会の前や内部で正装した人たちを見かけた。おそらく結婚式だろう。幸いなことにまだ式の前で入場を許可してもらえた。短い時間だったが、ベルニーニの彫刻「聖テレーザの法悦」を観賞。天使の矢に突かれて光悦の表情で天を仰ぐ聖テレーザの姿と後光を表現した黄金のモニュメントが美しい。ここも映画「天使と悪魔」の謎解きポイントのひとつだ。


その教会から徒歩15分でトレヴィの泉へ届く。午前11時を少し過ぎた頃だが、たくさんの観光客で溢れていた。その混雑状態で一人で黙ってコインを投げ入れるのは流石に気が引けた。コイン投げは諦めて、歩くこと10分。アン王女がジェラートを食べたスペイン広場だ。私にはジェラートを一人で食べる勇気はなかった。



スペイン広場のからの伸びる高級ブティック街((ヴィア・デレ・カロッツェ)を抜け30分ほどヴァチカンの方面へ歩くとサンタンジェロ城がある。橋の下には、アン王女がギターで追っ手をなぐった水上レストラン。城の中では、ラングトン教授がイルミナティの隠れ家を発見する。屋上からヴァチカン方面を眺めると、ラングトン教授が通ったヴァチカンへとつながる秘密通路(パセット)が見えた。城を出ると午後1時前だった。



朝から歩き通しで何も口に入れていなかったので、バーに立ち寄り、ビール1杯で喉を潤した。気持ちよくなったところで、地下鉄でホテルへ戻った。


午後1時半。幾田先生から紹介していただいた、ローマ在住の日本人ツアーコンダクターUさんにローマの食材と夕食のガイド役をお願いすることにした。約束の時間まで約3時間。30分の休息の後、弾丸ツアーをもう少し続けることにした。


ホテルからコロッセオまでは徒歩で15分。筋肉痛の足に激を飛ばしながらコロッセオへ。入場のための当日チケットを買う行列に並ぶこと20分。コロッセオ内に入って私が思い出した映画は、「グラディエーター」(私は見ていない)でなくブルースリーの「ドラゴンへの道」。ブルース・リーチャック・ノリスが激闘を繰り広げたのはこのコロッセオだった(http://www.youtube.com/watch?v=OOWI6RK5b4U)。コロッセオを出ると午後4時。フォノローマを散策する時間は残されていないなかった。


午後5時、ツアーコンダクターのUさんと会う。スペイン広場の近くにある有機野菜食材の店とレストランへ行くことになった。午前の散策でスペイン広場からトレヴィの泉が近いことを知っていたので、午前中果たせなかったコイン投げにも付き合って頂いた。写真まで撮っていただき、たいへん有り難かった。Uさんによれば、トレヴィの泉に向かって右手脇から常時注がれている水は、飲むことができて、観光客がペットボトルに入れてよく持って帰るとのこと。それならばと両手ですくって一口頂いた。


残念ながら、目的の店では、現在、有機食材は売られておらず、ベジタリアン向けのメニューを用意したレストランのみの経営だった。そこでその代わりに、ヴァチカン近辺にある海鮮料理のレストランを予約していただいた。そのレストランの開店時間まで地元で人気のコーヒーショップ、パンテオン、ナヴォーナ広場を散策した。ガイドに慣れておられるUさんの説明はたいへん詳しく、わかりやすかった。ちなみにナヴォーナ広場も「天使と悪魔」のロケ地。


「モアイ像に似てる」とUさんが言う、とてもフレンドリーなウェイターの居るこの店は、市場から取り寄せた新鮮な魚介類が自慢で、この日は、小ダコのフリット(てんぷら)と白身魚塩竈焼、トマトソースの手づくりパスタを注文した。イタリア語が堪能なUさんの心強いサポートのおかげで、こちらの期待を裏切らない料理だった。気さくなUさんの人柄と美味しい料理のおかげで話が弾んだ。気がつくと午後10時半だった。すてきな食事の時間をプロデュースしてくださったUさんに大感謝。