小学2年生へ“動的平衡”を伝える試み


私が住む宗像市のある小学校の栄養教諭より、給食の生ゴミを利用した野菜栽培に挑戦したいとの相談があった。


生ゴミを堆肥化するには時間がかかるので、土に直接戻す方法で今からやると1学期の間に野菜の収穫ができない。そこで、生ゴミの濃縮堆肥を作り、追肥として利用する代案を提案。この方法で、子どもたちにトマトを栽培してもらうことになった。


なぜ生ゴミなのか。


その意義を直感的にイメージさせ、この取り組みに対する子どもたちの自発性を誘起したい。


“生命”とは物質の絶え間ない流れによって生み出されるバランス、すなわち“動的平衡”状態にある。


この生命観を、
生ゴミの命から菌ちゃんの命、そしてトマトの命へとつながるリレーから感じとってもらえれると嬉しい。
いのちの授業、小学生版。


相手は二年生。
説明的になってはダメだ。
分子生物学者・福岡伸一ハカセが小学生におこなった授業を参考にした。

ルリボシカミキリの青

ルリボシカミキリの青


私「これなあに?」
児童「給食のおかずの残り〜!」
私「これは?」
児童「ほうれん草を切ったときの残り〜!」
私「これは?」
児童「ニンジンを切ったときの残り〜!」
私「じゃあこれは?」
児童「お魚のおかずの残り〜!うわぁ〜〜〜、きたな〜〜〜い!!」
私「どうして?どうして汚いの?これは今日のお昼、みんなが食べたおかずの残りでしょ?みんなが食べたおかずは汚かったの?」
児童「………」
私「みんなのおかずになる前は、この地域の海で泳いでいたんだよ。生きていたんだよ。」
児童「………」
私「では、みんなに訊きます。生きているものにあって、死んでいるものにないものは?」
児童「いのち!」
私「お魚の命は、みんなの身体をつくるため、つまり、みんなの命を生かすために食べられました。でも、こうして捨てられていく命もたくさんあります。刻まれたほうれん草やニンジンにも命がありました。でも、こんなにたくさん捨てられていく。どう思う?」
児童「もったいない!」
児童「かわいそう!」
私「じゃあ、もったいなくないように、かわいそうにならないように、この捨てられていく命を、みんなが育てているトマトの命につなげましょう。そうすればやがてみんなの命になってくれる。」
児童「………」
私「そのためには、まず、この生ゴミの中にまだある命で、とっても小さな命を育てます。とっても小さな命とは、空気の中や土の中にたくさんいる生きものです。それは何?」
児童「みみず?」
児童「ダンゴムシ?」
私「もっと小さい。目には見えない。」
児童「ウィルス?」
私「答えに近づいたかな。答えは菌です。カビみたいなもんです。私は親しみを込めて”菌ちゃん”って呼んでます。」
児童(笑い)
私「菌ちゃんは、と〜〜〜っても小さいので、生ゴミも食べやすいように、みんなでち〜〜〜っさくしましょう!はい、どうぞ〜!!」


子どもたちは一気に生ゴミに群がり、素手生ゴミを小さくし始めた。
さっきまで「汚い」なんて言っていたのに。



あま〜〜〜いトマト
できるといいネ。